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【フランス】「ル・トラン・ブルー」乗車記(1989年1月) ワゴン・リの寝台車で知った昭和の終焉

日本の「ブルートレイン」という愛称のルーツが、フランスにあることをご存知でしょうか。

その名は「ル・トラン・ブルー(Le Train Bleu=青列車)」。
かつてパリと地中海を結び、ヨーロッパの富裕層に愛された伝説の豪華列車の系譜です。

1989年1月、私はユーレール・ユースパスを手に、この本家本元の「青列車」に乗車しました。
当時はちょうど、パリから日本まで「オリエント急行」が運ばれ、日本中が沸いていた時期。その「兄弟分」とも言えるワゴン・リの寝台車で、私は異国の地から自国の歴史が塗り替えられる瞬間に立ち会うことになります。
当時の時刻表や車内写真とともに、35年前の冬の夜を振り返ります。

ニース・ヴィル駅(Gare de Nice-Ville)

オリエント急行の「兄弟」と、夜の女王の誇り
「ル・トラン・ブルー」は、オリエント急行と同じ「国際寝台車会社(ワゴン・リ社 (Wagon-Lits)」が運行する看板列車でした。1922年に導入された濃紺の鋼鉄製客車の美しさからその名が付き、まさに「夜の女王」として君臨してきました。

1989年当時、TGVはすでにデビューしていましたが、まだパリ〜リヨン間の「南東線(Sud-Est)」が開通していたのみ。ニースまではまだ高速専用線が繋がっておらず、この「青列車」は、依然として特別な存在感を保っていました。

※ちなみにワゴン・リ(Wagon-Lits)の「Wagon」は「車」、「Lits」は「ベッド(寝台)」の複数形です。直訳すれば「寝台車会社」

 

チェックインの儀式と、粋なスタンプ
21時13分、ニース・ヴィル駅(Gare de Nice-Ville)。深い青色に銀色の「TEN(Trans Euro Night)」のロゴが映える列車がホームに滑り込みます。サボには「VENTIMIGLIA - PARIS GARE DE LYON」の文字。

この「ル・トラン・ブルー」は、イタリア国境の町ベンテミリアを始発とし、コート・ダジュールの主要都市を拾いながらパリを目指すロングランナー。

1989年当時、本家「ル・トラン・ブルー」は、座席車を一切連結しない、誇り高き「全車寝台(Train-Bloc)」という特別なステータスを保持していました。

編成は、私が乗車した洗面台付きの個室寝台「TEN」客車が3両ほど、そこに夜行専用のコラーユ型クシェット車(簡易寝台)が連なる構成です。

このクシェット車も、通常の座席車とは一線を画す装いでした。ライトグレーの車体に、窓周りを縁取るのは深いミッドナイトブルーの帯。 一般的な座席車を一切排除し、寝台予約客だけで構成されたその「閉じられた空間」こそが、一般夜行列車とは決定的に異なる格差であり、誇りでした。

「ル・トラン・ブルー」の寝台券

深い青色に銀色の「TEN」のロゴが映える車両のドアが開くと、ワゴン・リ社の制服に身を包んだ専属の乗務員(コンダクター)が静かに降り立ち、一人ひとりのチケットを確認して部屋へと案内してくれます。

部屋に入ると、コンダクターとの対話が始まります。明朝の朝食のオーダーやモーニングコールの時間を決め、チケットやパスを彼に預ける。この「チェックイン」こそが、ワゴン・リの旅の醍醐味です。

私の担当だったコンダクターは、初めてのワゴン・リに興奮を隠せない私の様子を察したのでしょう。彼は私の寝台券に、「WL」のモノグラム・スタンプをそっと押してくれました。言葉は完璧に通じずとも、このスタンプ一つで、一人の若き旅人の情熱を彼が受け止めてくれたことが伝わり、胸が熱くなりました。


クラス管理の厳格な流儀:T3コンパートメントの夜
私が予約したのは、3人用コンパートメント「T3 MONSIEUR」の下段寝台。幸運にも同室者はおらず、この部屋を一人で使えることになりました。
しかし、広々と使うために「使っていない中段・上段のベッド」を畳もうとすると、乗務員から「そのままにしておくように」と指示が飛びます。
寝台を畳んでしまうと、1人用や2人用の個室と物理的に変わらなくなってしまうため、*「あくまで契約した一床分のみを供する」という、ワゴン・リ社の徹底した管理。その「融通の利かない頑なな運用」を目の当たりにし、寝台の数で料金クラスを厳然と区別するヨーロッパの鉄道らしいルール。そこには「伝統の重み」が息づいていました。

3人用コンパートメント「T3 MONSIEUR」

記憶に刻まれた五感の旅:音と匂い
コンダクターが去り、静まり返ったT3の部屋。石鹸と清潔な寝具の匂いが漂う中、シーツに身を委ねます。深夜、列車がマルセイユを迂回する際、ジョイント音がリズムを変え、重厚なレールの音が響きます。その規則正しい振動が、旅情をさらに深めてくれました。

 

マルセイユの灯火と、昭和最後の煌めき
時刻表(Table 151)を見ると、マルセイユ(Marseille St. Charles)の横には通過を示す棒線が引かれています。速達性を重視し、行き止まり式のマルセイユ駅を迂回する特別なルートです。

眠れぬまま窓の外を眺めていると、街を迂回する線路の向こうに、マルセイユの丘の上に建つ寺院の塔が静かに浮かんでいました。

その時、日本では昭和という時代が幕を閉じていました。フランス時間1989年1月6日22時33分。私が遠ざかる塔の光を見つめていたその瞬間、日本の歴史が動いていたのです。

1989年当時のタイムテーブル

パリへの目覚めと「HIROHITO」
翌朝7時。前夜に頼んでおいた朝食が部屋にデリバリーされました。コンダクターが運んできたコーヒーの香りが、冬の冷たい空気と混ざり合い、心地よく目を覚まさせてくれます。

8時13分、定刻通りにパリ・リヨン駅に到着。ホームに降り立ち、キオスクを埋め尽くす新聞を見た時の衝撃は忘れられません。すべての一面に、大きなアルファベットで綴られた「HIROHITO」の文字。

ネットもない時代、異国のターミナル駅で突きつけられた「時代の終焉」。私は凍える手で公衆電話を探し、日本へ国際電話をかけました。あの夜、ル・トラン・ブルーの車窓から見たマルセイユの光は、私にとって昭和最後の煌めきだったのかもしれません。

 

パリ近郊を走行中の「ル・トラン・ブルー」の車内から撮影

ル・トラン・ブルーの「その後」
私が「ル・トラン・ブルー」に乗車した1989年は、夜行列車が「特別な旅」としての輝きを放っていた最後の時代だったのかもしれません。

1990年代のTGV延伸により、寝台車の「ゆとり」は合理的な「スピード」に敗北していきました。

2003年、ついに「ル・トラン・ブルー」はその誇り高き看板を下ろします。その後、2012年に現在のブランド名である「インテルシテ・ド・ニュイ(Intercités de Nuit)」へ統合されるまでの間、この路線は「リュンヌ(Lunea)」という名称で運行されていました。
しかし、それはかつての華やかな「青列車」とは似て非なるものでした。

2012年に『インテルシテ・ド・ニュイ』という実務的な名前に統合された後、実はニースへの夜行列車は一度廃止の憂き目に遭っています。

TGVの猛攻と格安航空会社(LCC)の普及により、夜行列車の利用者が激減。フランス政府は「採算が取れない」として、一部を除き、フランス国内の大半の夜行列車を廃止してしまいました。パリ〜ニース線も、実はこの時期(2017年)に一度廃止されています。

しかし2021年、環境意識の高まりとともに再び息を吹き返しました。かつての豪華寝台車ではなく、ベテランのコラーユ客車をリニューアルした『簡易寝台』として。


現在、同区間を走っているのは、フランス国鉄(SNCF)が運営する「インテルシテ・ド・ニュイ(Intercités de Nuit)」という夜行列車です。
かつての豪華寝台特急とは異なり、現在は「移動の選択肢」としての実用性が重視されています。
かつてのような1人〜3人用の個室寝台(Voiture-Lits)は姿を消し、現在はクシェット(Couchette=簡易寝台)が主流です。

1等(4名1室)と2等(6名1室)があり、男女別車両も選択可能ですが、かつての「動くホテル」のような贅沢な内装ではありません。


かつての華やかな宮廷文化を今に伝えるのは、パリ・リヨン駅の2階にある豪華絢爛なレストラン「ル・トラン・ブルー」だけ。

ベル・エポックの天井画の下で食事をする人々だけが、かつての「青列車」が持っていた夢の断片を味わうことができます。

 

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