22.旅のアーカイブ(日本国内編)
大阪駅で出発を待つ「20系急行だいせん」のイメージ 1985年(昭和60年)、中学校を卒業した春休み。大阪で宿を見失った15歳の私は、みどりの窓口で急行「だいせん」の寝台券を手にした。初めて乗る寝台列車。青い20系ブルートレインは、思いがけず人生最初の…
東北新幹線が開業したのは、1982年6月23日。 最初に開業したのは「大宮〜盛岡」間。大宮からの暫定開業でした。 当時は「新幹線リレー号」で上野から大宮へ向かい、そこで新幹線に乗り換える時代。 その後、上野・東京への延伸を経て、新青森、そして北海道…
2025年6月18日深夜、大宮に残っていた最後の185系(C1編成)が、廃車解体のため長野へと送り出されました。国鉄型特急電車として最後まで残ったこの編成。リレー号を模した姿をまといながらも、斜め三本ラインの時代を知る者にとっては、どこか複雑な思いを…
西武新宿線で、何十年も当たり前のように走っていた“黄色い電車”旧2000系その姿が、ある日ふと消えていた──そんな静かな別れが、2025年6月に訪れました。 1977年に登場した西武鉄道の旧2000系。通勤輸送の主力として、約半世紀にわたって活躍してきたこの車…
福岡空港。羽田から到着した星のマークをまとった一機のワイドボディ機が到着ターミナルへと向かっていく。それは、かつてスカイマークが運航していたエアバスA330。贅沢すぎる座席、目を引く制服、そして当時のスカイマークの壮大な国際線構想。すべてが“幻…
名古屋のリニア・鉄道館で、ひときわ目を引く黄色い新幹線──。それは「見かけると幸せになれる」として知られる、ドクターイエローのT3編成。かつて東海道・山陽新幹線の検測に使われていたこの車両は、2025年5月、その役目を終えて展示を終了し、今まさに新…
かつて、上野を出発した夜行列車は、静かに信越の山々を目指して走った。その先に待ち受けるのは、国鉄最急勾配・碓氷峠。日本で唯一の“C-C台車”を備え、3軸×2の力強い足でこの急坂に挑んだ機関車──EF62。 同じく補機として活躍したEF63が“シェルパ”と呼ばれ…
かつて、富士山のふもと・河口湖から国鉄の急行列車と連結され、首都・新宿へと旅した一両の気動車。全国に一両しかない、最初から“両運転台”で生まれた特別なキハ58。やがて富士の山を離れ、和歌山の私鉄に身を移し、そして今は、有田川の小さな鉄道公園で…
1985年の青空の下、未来へ続くレールの上を、静かに滑るように走る白い車両。地面からほんのわずかに浮かび、音もなく進むその姿は、まるでSFの世界の乗り物のようだった。 これは、つくば万博で公開されたリニアモーターカー「HSST」。空港アクセスの未来を…
東京駅に姿を見せた深緑の客車。その展望デッキには金色の手すりが輝き、まるで“走る応接室”のような雰囲気を放っていた。1983年にデビューした「サロンカーなにわ」は、当時まだ珍しかった欧風デザインのジョイフルトレイン。その豪華さと優雅さは、今でも…
かつて、函館のホームに、すこし丸みを帯びた銀色の先頭車が停まっていた。車体には「SUPER HOKUTO」の文字。それは、北海道を縦断して走った、振り子式の高速特急──キハ281系気動車の姿だった。 札幌と函館を、わずか2時間59分で駆け抜けたその速さは、北海…
東京の地下鉄、千代田線に直通するために特別に作られた103系1000番台。その特徴のひとつに、左右どちらも内側に少し傾いた斜め窓がある。このささいな違いには、乗務員と乗客の安全を守るための工夫と、当時の技術的制約が詰まっていた。長く走り続けたこの…
東北・上越新幹線が大宮暫定開業で、まだ東京都内まで届かなかった時代。その“つなぎ役”を果たした列車、それが「新幹線リレー号」です。 上野から大宮までのたった26分の連絡快速列車。でも、その姿には、昭和の名残と、次の時代へつながる静かな工夫が詰ま…
5月25日は「食堂車の日」だそうです。今から126年前の1899年5月25日、山陽鉄道(現在のJR山陽本線)の列車に、日本で初めて食堂車が連結された日を記念して制定されたとのこと。 今ではほとんど見かけなくなった「走るレストラン」。でも、私の記憶の中には…
Facebookの思い出に、12年前(2012年)に撮影した「北斗星の推進運転」の動画が出てきました。 私は2008年から2009年にかけて、「北斗星」の擬似乗車ビデオを制作している最中でした。上野から札幌までの走行区間を何度も訪れ、あちこちで走行シーンを撮りた…